原木椎茸の世界で語られるのは、しばしば「技術」や「収量」だ。何本打ったか、どれだけ発生したか。数字はわかりやすく、比較もしやすい。
しかし、鳥取・南部町の里山で60年にわたり土と共に生きてきた藤原良一氏の視線は、そこにはない。もっと遠く、一人の人間の寿命を超えるほどの長い時間軸を見つめている。
40年後の原木を、いま植える
「いま植えている木は、自分のためじゃない。」そう彼は静かに言う。クヌギやコナラの苗を植え、下草を刈り、間伐を繰り返す。その木が原木として使える太さになるまで、数十年かかる。
多くの生産者が原木を「買う」のが当たり前だった昭和60年頃、彼はすでに原木不足を予見し、自ら広葉樹の植林を開始していた。現在、彼が管理する28haの山林のうち、4haは自ら作り上げた広葉樹林だ。
自分が収穫する保証のない木を植える。その「利己的ではない投資」こそが、藤原氏が体現する循環型林業の核心である。
原木は単なる資材ではない。山の時間が凝縮された存在だ。どの木を残し、どの木を伐るか。光の入り方、水の流れ、地形の癖。それらを読む力が、椎茸の質に直結する。山を理解する者だけが、真に原木を語れるのだ。
ダム建設と椎茸、二つの公と私
藤原氏の経歴は異色だ。かつて町職員として19年もの間、ダム建設という巨大なインフラ事業の最前線にいた。用地買収交渉という、誠実さと忍耐が求められる職務を全うする傍ら、私生活では家の基盤である田畑と山を守り、椎茸に駒を打ち続けてきた。
「針葉樹を待っていたのでは、暮らしは成り立たない。自分で山を育て、特用林産を手がければ、それが地域の、そして自分の血肉になる」。
公務員として地域の未来を築きながら、一農林家として理想の循環を追い求める。その歩みは、最盛期には5万本を超える植菌数を誇り、県知事賞を受賞するほどの圧倒的な品質へと結実した。
「ウッドメッセージ」を次世代へ
彼の活動は、自分の山の中だけでは完結しない。平成4年からは「ウッドメッセージスクール」を主宰し、自らバスを動かし全国の先進地へ若手林業者を連れ出した。また、地域の小学校で17年間にわたり椎茸栽培を教え続け、近年でも県の新規採用職員を受け入れるなど、その手は常に「人」を育てている。
植える。育てる。使う。また植える。そして、その価値を語り継ぐ。
この循環を、彼は「当たり前の実務」として淡々とこなす。そこには「こだわり」という言葉ですら軽すぎるほどの、圧倒的な時間の蓄積がある。私たちが手にする一枚の椎茸には、藤原氏が60年かけて編み上げた山の記憶が宿っている。